磯崎新(イソザキアラタ)
建築家のお名前です。
業界ではすごく有名な"大御所"ですが、
「世界のANDO」さんなどに比べると、一般には
そんなに知られていないように思います。
ただ、日経新聞の「私の履歴書」の今月の執筆者なので、
最近は毎日名前を目にしている人も多いかも知れません。
私はこの名前を見るたびに、いつも独特な感覚に捉われます。
重々しいというか、苦々しいというか、不思議な感覚です。
面識があるわけでもなく、特別な思い入れがあるわけでもないのですが、
私の記憶にどっしりとそして不気味に刷り込まれているのです。
学生時代に、この人が書いた「<建築>と言う形式」という本を
読んで以来そんなことになったんだと思っています。
どんな内容のものだったか細かくは覚えていないのですが、
「メタファー」とか「キッチュ」などという初めて目にする言葉が入った、
難しい哲学的な文章を"何となくアカデミック"な気分に
浸りながら読んでいた(いや、文字を追っていただけ!?)のを覚えています。
この人は私にとって、建築の哲学的な世界の象徴であり、
その風貌も手伝ってか、"オソルべし"存在となったのです。
その頃は、わけが分からず知恵熱にうなされていた感じですが、
その後、現場監督という仕事を通じて、
建築のアカデミックな側面との対極を経験することで、
頭がすっきりしてきたような気がしています。
「事件は現場で起こってるんだ。」です。
磯崎新、この名前をじーっと眺めていると、
この3文字が建築物に見えてくるのは私だけでしょうか。
単に画数の多い名前が羨ましいだけなのかもしれませんが、
何か字面がカッコいいんですよね。
くやしいけれど。